出版物

2015.08.14

東インド会社とアジアの海賊

出版社:勉誠出版 / 発行年:2015年 / ページ数:340ページ

5月に勉誠出版から「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫 編集)が刊行されました。

執筆者を代表して広島大学の太田敦先生にお話をうかがいました。

寺田:数々の論文から構成される一冊で、本を読み進めながら地域と時代を超えて船旅をしているような体験ができました。まずは出版に至った経緯と内容について教えてください。

太田:確か2012年に東洋文庫がコレクションの文書と絵画の展覧会をやって、それとリンクした形でワークショップが開催されました。本はそのワークショップの成果として出来ました。東インド会社がどのようにアジアの海賊と対峙し対応したかという話を集めていまして、目次では3部構成ですが、序論を入れると4部構成になっています。序論では論文の紹介、総論では東インド会社を中心として、アジア人よりも東インド会社がむしろ海賊だったのではないか、また彼らがアジアの人々とどのように対峙していたかという話が説明されます。第一部は、西南アジア海域、第二部は東南アジア海域、第三部は東アジア海域に関する論文で構成されています。第一部ではベンガル湾のジョアスミー海賊について、第二部では私が19世紀初頭のマレー海域の海賊について、もう一方は植民地支配以降を扱った論文です。第三部では、後期倭寇、17世紀の中国沿岸の商業と海賊行為、屏風にかかれたオランダ、さらに中国の海賊に関する論文が二つあります。一つは、中国海賊というイメージがヨーロッパの文献でどのように作り上げられたのか、もう一つは19世紀半ばに清朝が雇ったイギリス海軍の研究です。

寺田: 東洋文庫ミュージアムによる企画展示「東インド会社とアジアの海賊」、それに関連して開催されたシンポジウムでは、どのような新しい視点が提供されたのでしょうか。

太田:企画展は東洋文庫で進められたもので、ここでどういう視点を打ち出すかといった話に私は全然関与していません。シンポジウムも、招待をもらった時は、どういう視点で行おうとしているのか、正直に言ってあまり分かりませんでした。ただ他の参加者の顔ぶれを見て、このメンバーと議論するのであれば面白いかなと思って参加することにしました。シンポジウムが始まってすぐに、「海賊とは誰か?」「誰がなぜある対象を海賊と呼ぶのか」といったことが議論になってきました。海賊というものが自明の存在として自発的に発生したとは、現在の研究はほとんど誰も考えていません。そうした研究状況を分かっている皆さんの議論は、自然とそういう問いを投げかけるものになっていったと思います。東インド会社は常に他者を海賊と名指す側の存在でしたが、彼らのまなざしや行動も相対化しなければならないということが、議論を通じて確かめられたと思います。このような視点は必ずしも新しいものではありませんが、東インド会社と彼らによって海賊と呼ばれた者たちの存在をインド洋、東南アジア、シナ海の文脈に位置づけて考えることや、これらの海域に生じた出来事を一貫した関連のある事象として考えようとしたことは、新しい視点だったと思います。

寺田:特に印象に残っている論点や論文はありますか?

太田:一つは羽田先生が書かれている論文では、必ずしも東インド会社を海賊と対決する存在として扱うのではなく、東インド会社も海賊の一員であるかのような行為をしたこと、相手を海賊と呼ぶ側はどのような議論をもっていたのかが指摘され印象的でした。鈴木さんや豊岡さんの論文も、海賊が固定的に存在するのではなく、その言説が生まれる過程を考えさせてくれました。

寺田:論文は一貫して「海賊とは誰か?」という問いを扱っています。太田先生は「貿易と暴力―マレー海域の海賊とオランダ人、1780~1820年」の中で、海賊という語を「海上における暴力または威嚇によって相手から金品や人員を強奪しようとする、または相手に何らかの要求を受け入れさせようとすると「認識される」行為」(p.66)と定義されています。このように海賊を広義に解釈する意図は何ですか?

太田:海賊という行為または存在は、他者から「非合法」、「暴力的」だと認識されることによって初めて存在するようになると考えるからです。ある者が何らかの方法で自分の「合法性」や「正統性」を主張しても、それゆえに海賊とは対極の存在ということにはなりません。「合法」「非合法」という語を使いましたが、そのような主張の根拠となり得る「法」や「合意」も最近まで存在しませんでした。ですので一方的に主張される正統性やその対極としての「海賊」の定義を使うことは、極めて一面的だと思います。他者に「非合法」、「暴力的」だと認識されているのであれば、ヨーロッパの貿易会社や政府の行動であっても、「海賊」行為として議論の範疇に入れたい、というのが私の定義の意図です。

寺田:海賊とは誰かを問うことは、今日の世界ではあたりまえの概念として存在している「国民国家」やその権力について改めて考え直すきっかけとなると思いました。東インド会社と海賊研究は現代世界の問題にどういった解決策をもたらしてくれるでしょうか。

太田:その通りだと思います。私たちは「国民国家」はその領域の隅々にまで権力を浸透させる正統性を持っている(少なくとも政府はそう主張できる)と考えがちですけれども、世界のどこにおいても、国家の周辺に生きる人々にとってそれは必ずしも自明のことではないですよね。「国民国家」であるから政府は正統性を持ち「国民」を統治できるとは、私たちは考えるべきではないと思います。どのような面から国家は正統性を主張できるのか、そう主張するために国家は何をしなければいけないのか、私たちは問い続けなければならないのだと思います。

寺田:各論文が取り上げる地域は極めて広域にわたっていますが、本書では「アジアの海賊」と総称されています。「アジアの海賊」と一括りにして語ることはできないと思いますが、ヨーロッパとよばれる地域に対して、アジアの海賊に共通してみられる特徴はありますか?

太田:アジア各地の海賊は、それぞれの地域の特徴に対応した様々な性格を持っています。そのアジア内の違いと、ヨーロッパの海賊と比べた場合の違いと、どちらが大きいのかは簡単には言えません。私はアジアとヨーロッパでの共通点も非常に多いと考えています。アジアとヨーロッパのそれぞれ内部の共通性を見つけようとするのは、この両者の断絶的な違いを前提とすることにもなってしまうので、注意が必要です。

寺田:実際にはアジアの海賊に限った特徴があるわけではないのですね。しかし、ヨーロッパと呼ばれる地域で蓄積されてきた研究には、アジアの海賊について誤解された見方なども存在したのではないでしょうか。

太田:言説レベルの話になりますが、ヨーロッパでは海賊は遠いところにいる存在と思われていたと言えるかもしれません。バイキングは別として18世紀、19世紀の海賊と言えば遠いところが舞台でした。大西洋だったり、それが地中海であってもヨーロッパよりもアフリカに近いところであったり・・・。アジア海賊の研究でも、チャイニーズパイレーツが特殊なものとして捉えられていたり、ムスリムに海賊的な性格があるとか、あるグループや宗教を海賊になぞらえていくということも見られます。それに比べると、アジア世界では海賊が近くにいた、自分たちの住んでいる海岸に存在しています。アジアの多くの地域で、漁業が行われているところに海賊が存在し、その活動に引き込まれるということもありました。そういった意味では、海賊に対するまなざしの違いがあります。

寺田:アジアとヨーロッパでの共通点も非常に多いとおっしゃいましたが、具体的にはどのような共通点があるのでしょうか。海から見た世界史を描いた場合、陸上の活動に注目した歴史とはまた別の発見が出来るように思いました。

太田:海上の活動では、公的保護が得られることが少ないという点があげられます。公的保護が及びにくいところで商売を行う人たちはごく自然に武装を行います。武力を持った人たちは、アジアに限らず、ヨーロッパでも、取引の際に武力を利用するということは当たり前にあり得ました。王権にしても商業集団にしても、目当ての商品が得られなかった時などは、相手に妨害されたとし、自らの海賊行為を正当化していました。マレー国家の例で言えば、国王の下に活動を行っている集団であるから、国王は自分たちの臣下に貿易および略奪の手段を与えることはむしろ義務とされていました。ヨーロッパの商業会社においても、活動を妨害された場合に武力を使うことがありました。

寺田:それぞれ自らの行為には正当性があると主張していたのですね。海賊の物語や歴史は大概「勝者」によって書かれてきたようですが、資料を読み解くとき、研究者として気を付けていらっしゃる点はありますか?

太田:自分を「勝者」と捉える人々は歴史上多かったと思いますが、彼らも決して常に一枚岩ではないですよね。東インド会社にしても植民地政府にしても非常に階層的で、上のランクの人と下の方の人では相当違う見解を持っていることはごく普通です。そうした違いに意識的でありたいといつも思っています。「勝者」と「敗者」、ヨーロッパ人とアジア人といった区分は極めて表層的で、実際にはその中に複雑なニュアンスやダイナミズムがあったわけで、それを何とか取り出したいと考えています。

寺田:本書には、日本の研究者による最新の論文が掲載されていますが、日本における東インド会社と海賊の研究は、世界的にみてどのような立場なのでしょうか。

太田:日本ではやはり日本や中国の海賊の研究が中心で、東インド会社を対象にするものは少ないと思います。欧米でも、大西洋や地中海の海賊研究と比べると、アジアの海賊の研究は遅れています。それぞれ独自の研究蓄積がある日本や欧米の研究者が、アジア各地の東インド会社と海賊の関係を検討することは意味があると思います。日本で今まで行われてきた議論も、そうした検討に大きく貢献できると思います。

寺田:監修者のお一人である平野先生もご指摘されているように、最先端の研究では「西から東へ」という一方的な視点は既に乗り越えられ、「グローバリズムとローカリズムの融合」とも言えるアプローチがとられています。しかし、一般的にはまだアジアとヨーロッパには二つの異なった文明世界が存在した、という見方が根強く存在しています。こういった見方も本書の成果とともに変化していくことが期待できるでしょうか。

太田:確かに期待したいですね。グローバリズムが欧米の独占ではないのと同様に、ローカリズムがアジアのものだけでもありません。ただこうした意識の変化にはもっと長い時間が必要ですし、研究者が実証を忘れてパラダイム転換ばかりを訴えるべきでもないと思います。地道に努力を続け、かつ発信を忘れないように、ということでしょうか。

寺田:太田先生は、以前美術史研究をされていたとうかがいましたが、海賊の研究をはじめられたきっかけは何でしたか?

太田:私の昔の美術史研究が、海賊研究に直接つながったとは思えないですね。海賊は、西ジャワのバンテン王国を扱った博士論文のための調査をしている時に、資料に多く出て来たことから考えるようになりました。私が美術史に在籍した時に関心を持ったのは、インドネシア、タイ、インドなどの布でした。あまり国家の中心と関係のない、名もない人々が作り出す造形に関心を持ったことと、国家の周縁にいる海賊への関心とに、ひょっとすると何かつながりがあるのかも知れませんが。

寺田:それでは最後に、今後の展望をお聞かせください。アジアの海賊としてのシンポジウムや本書の刊行によって新たな問題点や今後の課題などは見えてきたのでしょうか?

太田:このシンポジウムや本書は、アジアの海賊と対峙する側の対象をインド会社に限定しています。しかし海賊鎮圧の正当性については、ヨーロッパであれアジアであれ、19世紀の国家の方がずっと強力に主張します。何かこの時に、国家の性質と海賊に対する眼差しが大きく変化するのですね。私はこの二つが密接に結びついていると考えています。そして日本では、国家統治者に海賊鎮圧の意志が強く見られるようになるのが、16世紀末と世界史的にみて非常に早いのです。これらの問題をどう考えるべきかを検討するのが、これからの私の課題です。

(聞き手:寺田悠紀)


<目次>
口絵

まえがき 斯波義信

序論 アラビア海から東シナ海までの船旅 牧野元紀

総論 東インド会社という海賊とアジアの人々 羽田正

第1部 西南アジア海域
 1.ジョアスミー海賊とは誰か? ―幻想と現実の交錯 鈴木英明
第2部 東南アジア海域
 2.貿易と暴力―マレー海域の海賊とオランダ人、一七八〇~一八二〇年 太田淳
 3.ヨーロッパ人の植民地支配と東南アジアの海賊 弘末雅士
第3部 東アジア海域
 4.海商と海賊のあいだ―徽州海商と後期倭寇 中島楽章
 5.中国沿岸の商業と海賊行為―一六二〇~一六四〇年 パオラ・カランカ([翻訳]彌永信美)
 6.屏風に描かれたオランダ東インド会社の活動 深瀬公一郎
 7.『中国海賊(チャイニーズパイレーツ)』イメージの系譜 豊岡康史
 8.清朝に〝雇われた〟イギリス海軍―十九世紀中葉、華南沿海の海賊問題 村上衛

年表
あとがき/平野健一郎
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