2015.10.13
近世日清通商関係史
執筆者:彭 浩 / 出版社:東京大学出版会 / 発行年:2015 / ページ数:328ページ
5月に東京大学出版会から「近世日清通商関係史」が出版されました。
執筆者の彭 浩さんにお話をうかがいました。
この本は、自分の博論をベースに作成したものです。「あとがき」で触れたように、中国での学部時代、偶然の機会で黒沢明監督の映画「影武者」・「乱」を見て、日本史とくに近世史に関心を持つようになりました。復旦大学の修士課程に入ってから、指導教官の意見にしたがい、中国人として比較的に入門しやすい日清貿易史を研究のテーマとしました。その後、十数年間をかけて、このテーマの研究に取り組んできました。ようやく2012年に念願の博士学位を取得することができました。昨年、東京大学学術成果刊行助成を得て、博論をベースにした本の出版が実現しました。
本の主な目的は、徳川幕府・清朝双方の貿易政策を分析し、近世日清通商関係の仕組みを検討することです。17世紀後期から19世紀半ばに至るまで、日清の間、国交がなかったとはいえ、中国商船はほぼ毎年絶えることなく、長崎に渡航して貿易を行っていました。しかも、こうした貿易は両政府ともに公認された通商関係に基づくものでした。こうした通商関係の仕組みについて、本の第一部では信牌制度と清朝の信牌対策、第二部は徳川幕府の「違法」唐人・唐船対策、第三部は長崎貿易に参加する中国商人の組織化、及びそれによる長崎貿易商法への影響などについて具体的に考察を行いました。
近世の日清貿易史に関しては、これまでは、「鎖国史観」の影響により、主に長崎貿易制度史の一環として捉えられてきました。先行研究で描かれたイメージは、徳川幕府が貿易のルールを定めて、中国商人はそれに則って貿易を行い、清政府はそれを黙認していた、というようなものでした。ところが、私は日清双方の史料、とくに貿易政策面の史料を合わせて読んでいるうち、両政府の貿易政策が緊密に連動していたことに気づきました。さらに、そうした政策上の連動性により通商関係を維持するための仕組みが次第に構築されたのではないか、という考えを持つようになりました。日清のどちらか一方ではなく、双方の貿易政策の連動性に視点を置くことがこの研究の最大の特色です。こうした視点を研究に取り入れることによって、信牌システム論、両局体制及び「約条」貿易などの新しい論点を提示することができたと思います。
この研究では、数多くの未発表の清朝档案、つまり清朝側の保存公文書を利用しています。史料編纂所の保谷徹先生が代表者を務める科研にかかわっており、博士課程に入ってからほぼ毎年、北京の第一歴史档案館、または台北の故宮博物院に赴いて史料調査を行っています。信牌関係の档案や、日本銅の調達関係の档案など、多くの貴重な史料を収集することができました。一方、日本近世の古文書を勉強しながら、東京・長崎・福岡・山口など各地の文書館に足を運び、数多くの唐船貿易関係の一次史料を集めてきました。そして、一つの歴史上の出来事については、幕府・藩・中国商人・清政府など、立場の違う当事者側の史料を突き合わせて読み、個々の史料の性格や作成の動機を慎重に分析することに努めました。こうした取り組みを通じて、いくつかの、従来の定説と異なる実証研究の結論を得ることができました。
グローバル・ヒストリーとの関連性については、まだまだ勉強不足ですが、一つはやはり、日本の唐船貿易か、清朝の対日貿易のような、「一国史観」に束縛されている研究の枠組みを超えることを試みた点と言えるでしょう。とくに通商関係をめぐる両政府間の「無言の対話」に留意し、双方の貿易政策のつながりを見出した点は、近年の新しい世界史に関する議論から示唆されたところが大きいです。博士課程の在学中、羽田正先生が率いるユーラシア科研に参加させていただいて、科研関係の研究会などで、自分の研究について報告する機会が何度もいただきました。報告の度ごとに、参加者の先生方から多くのコメントやアドバイスを受けることができ、ますます「鎖国史観」や「一国史観」を克服する必要性を感じるようになりました。しかし一方で、二国関係史のみに注目しているという問題点を、残念ながら残してしまいました。これを反省しつつ、今後は研究の新たな展開の方向性を探っていきたいと考えています。
本の最後に今後の展望について書きましたが、端的にいえば、三つの課題を挙げることができます。一つ目は、グローバル・ヒストリーをめぐる議論からの刺激を受けて、信牌研究の延長線上、通商許可書や通行許可証などのパスのようなものを対象に、「パスの世界史」の研究と叙述を試みたいこと。二つ目は、18世紀東アジアの国際貿易と地域社会とのつながりに注目し、唐船貿易やオランダ船貿易による長崎の地域社会への影響や、日本貿易による中国の江南地方の地域社会への影響などを双方向から多角的に検討していきたいこと。三つ目は、日清両国の産業構造と同時代の東アジア世界の貿易構造との相関関係を踏まえて、銅や海産物、生糸や絹織物などの貿易品について、生産・流通・販売・消費などの局面を総合的に考察したいことです。とにかく、二国関係という枠組みに拘らず、よりグローバルな視野をもって、東アジア海域史・国際関係史の研究を進めていきたいと考えています。
<目次>
序 章 近世日清関係史を問い直す――通商関係の視点から
第一部 通商関係の制度的基盤
第一章 信牌制度のメカニズムと確立過程
第二章 「信牌方」及びその職務について
第三章 清朝の日本銅調達と信牌対策――「倭照」関係史料の分析から
第二部 通商関係の法的規制
第四章 享保期の唐船打ち払いと幕藩制国家
第五章 近世日本の唐人処罰――「日本之刑罰」の適用をめぐって
補 論 清朝から見た近世日本の対外関係
第三部 通商関係の担い手の再編
第六章 「官商」范氏の日本銅調達と債務問題
第七章 唐船商人の組織化――「額商」の成立と貿易独占を中心に
第八章 貿易独占組織「官局」・「民局」の経営構造
第九章 両局体制と「約条」貿易
終 章 近世日清通商関係史の構築に向けて
初出一覧/あとがき/参考文献/索引