2016.03.31
世界史のなかの女性たち
出版社:勉誠出版 / 発行年:2015 / ページ数:264ページ
2015年7月に勉誠出版より『世界史のなかの女性たち』(水井万里子・杉浦未樹・伏見岳志・松井洋子編)が刊行されました。
共編著者の一人である水井万里子教授とGHCメンバーである弓削尚子教授が対談を行いました。
弓削:2015年7月末、論文集『世界史のなかの女性たち』が刊行されました。この本の意義や限界、今後のことについて共編著者の一人である水井万里子さんにお伺いしたいと思います。
まず、僭越ながら19本の論文すべてに目を通しての私の感想を述べさせていただくと、それぞれ執筆者が「世界史」というものをどのように理解しているのか、かなり多様というか、ばらつきがあるように思いました。この点、編集サイドでどのような議論がなされたのでしょうか。
水井:本書の企画段階では、女性たちは世界の歴史人口の半分を占めてきたという一見単純な事実を執筆者間で共有することから始めました。社会史が歴史研究で重要な役割を果たすなか、女性やこどもは研究の主要なテーマとなってきました。今、新たな世界史として、一国史の集合でない叙述方法が探求されていますが、それは、こどもを含む女性たちの姿を見出せるような世界史であるべきだという本書のアプローチに、執筆者から共感を持っていただきました。一方で、執筆者それぞれが、世界史のなかでどのように女性を叙述するのか、ご指摘の通りばらつきがあると思います。私を含め、一国史の延長のなかで実証と議論を積み重ねてきた研究者は、そこに女性を見出すことができたとしても、視点を世界に広げた場合、その女性がどう位置づけられるのか、つかみきれていない場合もあると思います。論集という形をとる本書が、そのような研究者の視野を広げる助けになり、世界史研究にとって重要な比較や連関の視点に気づく機会となれば、と考えました。
弓削:19本の論考の中で、目に留まるアプローチがあるように思います。三つ挙げてみると、(1)近代歴史学の西洋中心史観を基礎とする従来の「世界史」が取りこぼした地域やテーマを意欲的に掬い取ろうとするアプローチ、(2)複数国家間や地域圏の内外との比較史を実践するアプローチ、そして(3)読者に素材を提供し、比較史的、世界史的思考を促すアプローチ、が展開されているように思いました。これら三つはそれぞれ独立したものではなく、互いに関連するもので、執筆者の力点の置き方の違いにすぎませんが、たとえば第一のアプローチとして、近世インドの港町に暮らした西欧系女性の論考(和田郁子)や蘭・英・仏の植民地における「混血児」や「雑婚」の問題(水谷智、吉田信)は、ヨーロッパのドメスティックな近代国家の動向を見ているだけでは視野に入ってこないもので、大変興味深く読みました。
そもそも、従来の「世界史」においても女性は不在であったので、女性を対象にするだけでこうしたアプローチを実践したとも言えるでしょうが、ケープタウンの女性たちの在宅物品交換に関する論考(杉浦未樹)は、著者自身が位置づけているように、これまで就労や結婚、相続に限られていた世界史における女性の経済活動の射程を広げるものとして非常に意義あるものだと受け止めました。
第二のアプローチは、女訓書の東遷(薮田貫)や近代日本の家内労働(谷本雅之)の論考に見られたと思いますが、考察の対象を開き、分析のダイナミズムが感じられました。
第三のアプローチは、具体的には次のようなものです。水井さんが書かれた英国コーンウォルの女性鉱山労働者から、多くの読者は近代日本の女性炭鉱婦を連想し、比較の衝動に駆られるでしょうし、ヴェネツィアの嫁資(高田京比子)について読んだ後、イランの嫁資(阿部尚史)、東インド会社がインドの植民都市へと渡る女性たちに支給した持参金(和田)といったテーマが出てくると、嫁資の世界史というものに思考をめぐらすでしょう。少なくとも私には、世界史的考察という、一見、途方もなく大胆な企ても、こうした論文集の形態をとることによって、読者をも巻きこんで共同研究を呼びかけているように思えました。
他方、なぜこれが『世界史のなかの女性たち』に収められるのか、執筆者は「世界史」をどのように理解しているのか、伝わってこない論考もあるように思います。水井さん自身、執筆者たちのこうした多様な世界史的考察のあり方について、どのようにとらえたのでしょうか。
水井:まず、第一のアプローチ、つまり、これまで世界史で掬ってこられなかった地域やテーマから女性を見ていくことは、史料的な制約もあり実証が大変困難であることを認めなければなりませんでした。このことは、既にアメリカの女性史研究者などが言っているのですが、アーカイヴというものがそれぞれの地域でどのような趣旨で設立され、史料を蓄えていくのか、どのような利用を想定しているのか、という背景から理解されねばならないのです。本書ではそのような困難さについて、いくつかの地域の事例を積極的に紹介していただきました。第二のアプローチがとられるのは、比較的研究の蓄積が厚い分野や、オーソライズされた研究テーマです。こうしたテーマでは、複数地域の女性の状況を視野に入れ、「世界」を意識して書いていただくことで、新しい世界史につながる視点を得られていると思いますし、実際にこれらの論文から研究の射程が広がっているのではないでしょうか。第3のアプローチは女性のライフコースイベントを共通項とした世界史のなかの女性たちのあり方をさぐる方法です。ここでは、たとえ時間と場所が異なる事例であっても、女性の人生を扱った共通の視点が、読者に比較のためのインスピレーションを与えてくれるのではないかと願っています。
執筆者はほとんどが実証史家なのですが、多様な女性たちの在り方・痕跡を見逃さない、もし史料の中に彼女たちを見つけることがあれば、置いたままにはしない、という基本的な姿勢に共感してくださったと思います。
弓削:本書の限界や反省点については、いろいろあるかと思いますが、他方、本書の意義については歴史学界においてきちんと評価されなければならないと考えます。本書刊行後の反響について、どのようなものがあったのでしょうか。また、羽田正先生代表の研究プロジェクト「新しい世界史」との関連ではどうでしょうか。
水井:時間も地域もこれだけ幅のある論集なので、まずは、多くの読者に目を通していただくこと、それぞれの執筆者は女性を見出せる世界史をめざしてさらに研究を進めていくことが必要だと感じています。その意味でスタートラインに立ったというところです。本書は、ジェンダーを専門とする研究者と、これまでこの分野を専門としてこなかった研究者との、対話を通じて作りあげられてきました。ジェンダー研究の専門的な議論に私自身なかなか理解が及ばないところがあったのですが、弓削さんがなさった男性史についてのアプローチや、法制史からの解説(三成美保)が本書に深みを与えてくれたと思います。女性についての実証事例をどう解釈し、どういった議論につなげていけばよいのか、ジェンダー研究者との対話を重ねることで、どのような分野の歴史研究者であっても女性の世界史研究に一定の方向性を見出すことができると確信しています。羽田先生の新しい世界史のプロジェクトはこのような対話のプラットフォームとして機能してきたのだと思います。
弓削:水井さんもご存じかと思いますが、1982年に上智大学教授の三浦一郎が本論集と同タイトルの『世界史の中の女性たち』という本を刊行しています。学術書というよりは歴史エッセーのようなもので、古代エジプトから20世紀後半のソ連までの27名の著名な女性(うち19名は女王や王妃)を時系列で取り上げています。偶然同じ書名とはいえ、1982年と2015年の『世界史のなかの女性たち』を読み比べてみると、30年以上の歳月に起こった歴史学界の変化に感慨を覚えます。ギリシア史を専門する男性歴史家による一般書と、五大陸を視野に収めたさまざまな分野の歴史家たちが寄稿した学術論文集。三浦が選ぶ27名の「世界史上の女性」には、古代文明史からヨーロッパ史が中心で、イスラームの女性も中国や日本の女性も登場しません。日本の中等教育が「世界史」科目と「日本史」科目という奇妙な二分法で進められているように、三浦にはそもそも世界史とは何かという方法論的な議論はなく、日本やいわゆる「東洋」が範疇外であることを当然の理としています。これに対して、2015年の論集は、共編者、執筆者の構成から見ても、そもそも世界史とは何か、という問題を突きつけているように感じました。
水井さん自身は西洋史家に分類されると思いますが、今回の共編で他の分野の歴史家と仕事をして何かお感じになったことはあるでしょうか。
水井:共同作業のなかで、いくつかの重要な研究視角が得られました。実は、老いという概念について、本書の構成を議論しながら初めてその重要性に気がついたのです。西洋史を研究するなかで、教区の帳簿に人々の人生がその生から死まで記録されていたり、日記や書簡によって一人の女性の人生の最晩年までもが再現可能だとわかっていたのですが、これまで老いという問題をクローズアップしたことはなかったのです。しかし、本書の共同作業のなかで日本史やイスラームの研究では、女性の老いが社会の中で固有の意味を持ち、ライフイベントとしてはっきりと見えることを認識して、考えを新たにしました。自分自身、今回、鉱山で働く西洋の女性の「その後の人生」にまで視野を広げることができたのは、このような気づきの機会があったからだと思います。このように、世界的な視野で女性のライフコースを扱うなかで、女性が人生において一つの役割を終えたとしても、その次のイベントに何度も向かいあいながら人生を送っていくことに気がついたのです。
弓削:水井さんがご自身の研究テーマと関連して、本書に収められている論考から個人的に学んだことや印象に残ったものがありましたら教えてください。私自身は、冒頭で挙げた第三のアプローチとも関係しますが、自分の専門分野から、江戸の「啓蒙思想家」貝原益軒から18世紀のヨーロッパ教養人たちについて考え、メキシコにおける「血の純血」の意味の変遷や、蘭・英・仏の植民地における「異人種間婚姻」から、ドイツの植民地政策や人種主義との比較で多くの示唆を得ました。
水井:本書の諸論考から、女性とともにある男性の姿を見つめ直すべきではないのかと思い始めました。男性性の問題はまさにその基点となっていますが、私が勉強しているイギリスの鉱夫をめぐる研究視点としても、今後考えていきたいです。さらに、男性・女性双方の視点から、本書の論考にある移動を背景とした「雑婚」について改めて勉強したいと思っています。さらに、その次の世代であるこどもたちがどのように育っていくのかを追ってみたくなりました。そして、多くの人々が遠距離を移動するようになる17~20世紀の女性たちが、移動しながら場所を変えてどのようなイベントに遭遇するのか、もっと知りたいと考えるようになったりと、本書の編集執筆を通じて刺激を受けています。
弓削:最後に、「世界史と女性」に関する研究プロジェクトの今後について教えてください。
水井:論集『女性から描く世界史 -17~20世紀への新たなアプローチ』の出版を準備しています。同書は、『世界史のなかの女性たち』の編集過程で課題としてあがった、女性を見出すための世界史研究の方法について、より実践的なアプローチから検討しています。具体的には、叙述、比較のための史料、異文化接触領域でのケーススタディを通して、女性がともにある世界史を描こうと試みています。共同研究のもう一つの成果として、ぜひお読みいただければと思います。
<目次>
はじめに 世界史のなかの女性たち 水井万里子・杉浦未樹・伏見岳志・松井洋子
Ⅰ 教育
日本近世における地方女性の読書について―上田美寿「桜戸日記」を中心に 湯麗
女訓書の東遷と『女大学』 藪田貫
十九世紀フランスにおける寄宿学校の娘たち 前田更子
視点◎世界史における男性史的アプローチ―「軍事化された男らしさ」をめぐって 弓削尚子
Ⅱ 労働
家内労働と女性―近代日本の事例から 谷本雅之
近代コーンウォルに見る女性たち―鉱業と移動の視点から 水井万里子
Ⅲ 結婚・財産
ヴェネツィアの嫁資 高田京比子
十九世紀メキシコ都市部の独身女性たち 伏見岳志
ムスリム女性の婚資と相続分―イラン史研究からの視座 阿部尚史
視点◎魔女裁判と女性像の変容 │ 近世ドイツの事例から 三成美保
Ⅳ 妊娠・出産・育児
出産の社会史―床屋外科医と「モノ」との親和性 長谷川まゆ帆
植民地における「遺棄」と女性たち―混血児隔離政策の世界史的展開 水谷智
視座◎日本女性を世界史の中に置く
「近代」に生きた女性たち―新しい知識や思想と家庭生活のはざまで言葉を紡ぐ 後藤絵美
Ⅴ 移動
近世インド・港町の西欧系居留民社会における女性 和田郁子
店が無いのにモノが溢れる?―十八世紀ケープタウンにおける在宅物品交換と女性 杉浦未樹
ある「愛」の肖像―オランダ領東インドの「雑婚」をめぐる諸相 吉田信
フォーカス◎十七世紀、異国に生きた日本女性の生活―新出史料をもとに 白石広子
Ⅵ 老い
女性の長寿を祝う―日本近世の武家を事例に 柳谷慶子
身に着ける歴史としてのファッション―個人史と社会史の交差に見るエジプト都市部の老齢ムスリマの衣服 鳥山純子